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どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
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アジサイ歳時記

アジサイ歳時記イメージ

 どんよりとした空にひときわ映えるアジサイの花は梅雨時随一の風物詩と言っても過言ではありません。関東におけるアジサイの名所としては鎌倉の明月院が有名ですが、ここにアジサイが植えられたのは意外と最近で戦後のことと言われています。そればかりかこの花を賞美した文は日本の文学史上とても少ないことに驚かされます。

 『万葉集』にはわずか二首が詠まれ、そのうちの一つは「言葉を発さない木だってアジサイのように色の変わるものがあるのですよ、あなたたちの巧妙な態度にだまされてしまったよ」という意味合いの歌があって、土中の酸性度の強弱によってころころと色を変える花はお世辞にもいいイメージを抱かれてきたとは言い難いものがあります。ゆえにアジサイは幽霊花とも化け花とも異名をとります。

 それでも鎌倉時代あたりまでにはすでに観賞用の園芸品種もあったと見えて、原種で比較的シンプルな花つきのガクアジサイやヤマアジサイからいつの頃か毬のような花つきの装飾花、つまり現在私たちがすぐに思い浮かべるアジサイが生まれたものと考えられています。

 文学では嫌われてしまったアジサイも民間信仰では重宝されたようで、古くから京都などではこの花を門にかけて厄払いをしたり蓄財を祈願したりしてきたのです。一説にアジサイの語源はアズアイ。これを古文に変換すれば「集(あ)づ藍(あい)」、つまり「藍色の花が集まっている」という意味です。いつしかこれがアジサイと呼ばれたのは「集(あ)づ財(さい)」と都合よく言い換えられ、蓄財祈願の象徴と見立てられたからでしょう。

 日本で生まれたアジサイは東洋の美を感じさせる花としてヨーロッパで人気を博します。日本のアジサイを初めてヨーロッパに紹介したのは長崎の出島に出入りしていたスウェーデン人植物学者ツンベルクで1784年のこと。その後イギリスのプラントハンターの目にとまったアジサイはその株ごとイギリスに紹介されます。さらに1820年代に商館付きの医師として来日を果たしたドイツ人医師シーボルトは特にアジサイに惚れ込み、『日本植物誌』に美しいアジサイの画を掲載しています。シーボルトは日本滞在時の恋人、楠本滝を偲び、ヨーロッパに持ち帰ったアジサイにotakusaの学名をつけて発表しました。いつまでも「おたきさん」のことを忘れたくなかったのでしょう。

 一部で嫌われてきたアジサイも実はいっぽうで多くの人のロマンをかき立ててきた花なのです。今では雨のある風景に欠かすことの出来ない大切な花であることは間違いありません。

フローリスト連載2013年6月号より

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