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【第七回】竹の話

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 「木にもあらず草にもあらず竹のよのはしにわが身はなりぬばらなり」とは『古今和歌集』に収録されている歌で、そのおおよその意味は「木でも草でもない竹のように私もどっちつかずの半端者になってしまいそうです」というものです。詠み人の不安定な心が竹の曖昧さに例えられているわけですが、逆にこの曖昧さが竹を木も草も超越した特別な存在として位置づけたのです。おそらく太古の昔から日本人は竹を特別視して崇め、いつしか神の宿る依り代の役割を持たせたのです。これには竹の旺盛な生長力が少なからず関係しています。めでたき植物の最たる存在として松竹梅に加えられたのにもそんな背景があります。

 竹と言えば七夕。七月七日(旧暦では現在の八月)を特別な季節の節目としたのは古代の中国人で、鷲座のアルタイルと琴座のベガをそれぞれ牛追いの牽牛と機職人の織姫になぞらえ、二人が出会うめでたきよき日を夏から秋への季節の節目としたわけです。しかし中国ではこの節目と竹との間にはなんら関係はありませんでした。

 いっぽう日本には古くからこの季節に巫女が織った布を水神に献上する儀礼があったといいます。本格的な稲の収穫を前に気候を司る神に貢物をすることによって豊作を祈願する儀礼だったのでしょう。巫女は機を織ることから棚機女(たなばたつめ)と呼ばれ、水辺に依り代としての竹を立てて水神を招き入れ、織った布を捧げていたのです。こうした習わしに中国からやってきた七夕伝説が習合されて、この季節の節目を巫女の名にちなみタナバタと発音するようになりました。おそらく室町時代初期あたりから徐々に季節の節目に竹を立てることが農耕儀礼とはまた別にとり入れられたのだと思います。

 ちなみに竹や笹に願い事を書いた短冊を掲げたことの起源は平安時代にさかのぼります。宮中では中国からやってきた七夕を祝い、織姫に倣って機織りの技術が向上するようにその願いを紙に書いて特別に設えた棚に結び付けていました。七夕に竹がたてられるようになってしばらく経ち、江戸時代には寺子屋の発達とともに学業祈願の目的で広く庶民の間で短冊が盛んに竹に結び付けられ、現在の七夕のかたちになったようです。これを期に願い事の範囲も拡大。今ではどんな願いでも織姫が受け付けてくれることになっているようですね。

 もともとは神そのものが宿る植物であった竹。七夕祭の竹は、牽牛と織姫に主役をゆずって控えめに短冊かけに徹しているかに見えます。しかし、私たちはどこかこの逞しく美しい日本古来の植物に神々しさと頼もしさを今でも感じとっているのでしょう。

フローリスト連載2012年7月号より

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