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三枝祭・ユリの祭典

三枝祭・ユリの祭典イメージ

 ユリというと一部に西洋のイメージがありますが、実は日本もなかなかのユリ大国。テッポウユリ、オニユリ、カノコユリ、ササユリなど日本所縁ものも数多く、逆にその種類はヨーロッパよりも豊富です。今回はその中からササユリとこの花にまつわる格調高い祭をご紹介しましょう。

毎年6月17日は奈良市の率(いざ)川(かわ)神社(じんじゃ)である祭りが催される日です。うるち米ベースの黒酒と、もち米ベースの白酒をそれぞれ罇(そん)(曲げものの器)と缶(ほとぎ)(陶器製の器)にいれ、それらにササユリを飾ったものを神前に置き、その前でその茎を一本ずつ持った4人の巫女が舞いを奉納します。ひとつの茎に3つの花を咲かすササユリは別名を三枝(さいぐさ)ともいい、この祭りが三枝祭と呼ばれる由縁となっています。これはまさにササユリ一色の祭です。古式ゆかしい風情を持つ祭ですが、現在のかたちになったのは意外と新しく、明治時代のことといわれています。

 三枝祭にてササユリが使われるようになったのは率川神社の祭神と関係があります。この神社の祭神は初代の天皇とされる神武天皇の皇后、五十鈴(いすず)姫(ひめの)命(みこと)。『古事記』では五十鈴姫命が住んでいた場所は狭(さ)井川(いかわ)のほとりとされ、ここに山(やま)由(ゆ)理(り)草(ぐさ)が生えていたと記されています。ヤマユリグサとはありますが、この草には佐韋(さい)という別名もあり、これがサイグサ(三枝)の音に通じることから狭井川のほとりに咲いていたのはササユリだったという説が有力です。五十鈴姫命がササユリに囲まれて暮らしていた故事から、後にササユリが姫の依り代として定着したのでしょう。つまり三枝祭のササユリは酒を受け取るために五十鈴姫命が下りてきて宿る場所なのです。

 ユリから少し話はずれますが、ササユリを持って舞う4人の巫女の頭にはシダ植物であるヒカゲノカズラが巻かれます。古来こうした常緑の植物には神の力が宿るとされ、4人の巫女は手に神聖なササユリを持ち、頭にこれまた神聖なヒカゲノカズラを巻いて、これ以上ない格式の高さを得ていると言えるでしょう。祭に使ったササユリは五十鈴姫命の力を得て厄病除けにもなるといいますから、現在でも多くの人々がこの祭を愛してやみません。

フローリスト連載2014年6月号より

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