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どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。

【第五回】カーネーションデー

【第五回】カーネーションデーイメージ

 五月の第二日曜日は母の日。日頃の感謝の意をお母さんに示す日です。この日のプレゼントに欠かすことのできない花がカーネーション。日本でも母の日にカーネーションを贈る文化がすっかり定着しました。カーネーションデーと呼んでも差し支えない母の日ですが、この日が制定されたのは意外に最近で1910年代のアメリカにおいてでした。ある教会の日曜学校で教師を勤めていたジャービス夫人という人がいました。皆に慕われていた夫人にも最期の時が訪れ、そのあとを娘のアンナが引き継いだのです。アンナはジャービス夫人の命日になると母親の好きだったカーネーションの花を墓前に手向けたり、所縁の深かった人々に配ったりして母親の思い出としたのでした。この様子を当時のウィルソン大統領が耳にし、この出来事をモデルに母親に感謝する日、すなわち母の日を全国的に制定したということです。
  「愛する人の好きな花」というシンプルな理由で世界中に広まった母の日の花としてのカーネーションでしたが、この花にはそれ以前から特にヨーロッパにおいて豊かな意味合いが与えられてきました。カーネーションの原産地はトルコから地中海沿岸にかけてで、様々なタイミングでヨーロッパにもたらされたようです。イギリスには紀元前にすでにシーザーの兵士らによって紹介されていたといいますし、フランスには13世紀の聖王ルイが十字軍の遠征で立ち寄った地域から母国へ持ち帰ったという説があります。後にイギリスとフランス、この二つの国がカーネーションの栽培国として名を馳せます。16世紀の文豪シェイクスピアは作品の中でユニークな班のついたカーネーションを紹介していますから、この時代までには相当品種改良が進んでいたものと考えられています。
 いっぽう17世紀のフランスでは戦場に赴く兵士が誇らしげにカーネーションの花を胸に着けて勇気の証しとしたのです。これは十字軍を率いてカーネーションを母国に持ち帰った勇猛な聖王ルイにちなんだ習慣だったのかもしれません。またキリスト教徒にとってもカーネーションはその赤やピンク色の花色がキリストの流した血を連想させ、バラと共に救世主の受難を思わせる聖なる花として人気を博しました。
 その後、西ヨーロッパにおいてカーネーションは何かにつけ男性と結び付けられ、19世紀から20世紀にかけてブートニアの花としてすっかり馴染まれることになりました。この花の花言葉に「勇気」あるいは「友情」があります。様々な男たちの思いが込められたカーネーションが同時に母性を象徴する花として華麗な変身を遂げた背景に、この花の持つ大いなる魅力を今一度感じざるを得ません。

フローリスト連載2012年5月号より

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